#36 土壇場
『次は2番レフト猪里君』
猪里は素振りを終えて打席に入った。
兄ちゃんこいつは怖かねぇ。スライディング前進で
兄ちゃんの球を打ち返してはくっけどそれぐらいだ。
そしたら皆に任せれば大丈夫だ。
由太郎はこの後、この考えを悔やんだ。
一投目が投げられた。
重みもキレも当初よりは疲れのためが見劣りがある。
そして猪里はそれを高く飛ばすようにバットを振り上げた。
ギイィィン
『打ったー!!これは大きい!!!』
「な…なに!?」「ライト〜!!!」
魁も由太郎もこの事態に吃驚する。
高く、さらに高く球は上昇して行く。
そこには上がってはいても伸びは見られない。
「オイやめてくれよ!!」「そのまま入ってくれ〜!!」
「もう一伸びだ〜!!」「お願い……!!」
「っしゃ〜!ライトフライ!!」「これで終わりだ〜!!」
両校の願いは交錯する。
「飛距離が足りない……。あれじゃ柵越えは出来ないぞ」
剣菱の見解はこの会場すべての者たちと一致していた。
ライト沖とセンター長楽が球を追いかけて後方へと詰め寄っていく。
ただ1人のランナー獅子川は塁を駆けていく。
「ああ外野に追いつかれるっす!!」
「あぁーもうキザトラ先輩の真似なんかすっから!!」
子津と猿野がもどかしそうに声を上げる。
「でも何で猪里先輩はあんなに高く球を上げる
必要があったの?あれは狙ってないと無理な上がり方よ」
は未だに疑問を解決できずにいる。
「、あいつは待ってたんDa。あの日の風をNa」
「あの日……合宿のあれですか!?」
髪を玩ぶのを楽しんでいるかのような強い風。
あの風は高ければ高いほど強さをますもの。
「そうDa。奴はこの試合でずっとそれを待ってたんだとYo。
あいつには感じ取れる…自然と共に生きるあいつにだけ
見える風の流れを」
"選空眼"
猪里の目には地上からずっと高くにある風の天井が写る。
気流同士のぶつかり合いよって作られた風の天井。
その天井にもう少しで高く上げた球は到達する。
「えっ!?じゃぁ風を感じないのって!?」
「上空40mで起きている事だからNa。俺だって
ここからじゃわかんねえYo」
「どうやら、その風に到達したみたいですよ」
は球の球道の変化に気がついた。
「乗れ〜〜!!!」
猪里が願うように叫んだ。
それは届いたのか、球は風に乗り後方へと流されていく。
『な…なんと球が伸びた〜〜!!!』
「えええっ!?」「何故だ!!?」
村中親子が驚嘆の声を上げた。
「しゃっ〜〜!!」「乗ったZe!!」
猿野と虎鉄が猪里の思惑通りに
風が球を運ぶのを見て喜び、拳を握った。
上空に流れる風の道に乗り、球は後方へと滑る様に飛んでいく。
はベンチのここからでも風を感じている。
艶やかな黒の髪が揺れ、頬には何か目に見えないものが
触れているようだ。
「風は、寒い冬の終わりを告げる春一番にも
夏の悩みどころの台風にも、秋の木枯らしにも
冬の寒さを一層際立たせる吹雪にも姿を変える。
それは人にとって害にもなるし、有益なものにもなる」
は囁くような声で独白する。
球の行方は今フェンスを越えるかどうかの境目。
沖と長楽がフェンスに衝突した。
「それは、人が操ることはできない大気の流れ。
でも、猪里先輩はそれの力を貸してもらえる術を知っていた」
凄い、と素直に思う。
まだ、私の分からない、知らないやり方が広がっている。
血が燃えている。
騒いでいる。
「ここは猪里先輩だからこそ乗り越えられた」
ポーン
猪里が飛ばし、風の道を抜けてきた球が、
フェンスの先にある芝生で跳ねた。
猪里の包帯を巻いたあちこちに傷や汚れの
見えるてが真上に上がり、誇らしそうに拳を作った。
『入ったァ〜〜!!!なんと2番猪里君の
逆転ツーランホームラン!!!』
7-6 十二支優勢
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