鬼婆
あの日は、2学期が始まってまもない頃だった。
黒子とは夕方の図書館にいて、机に進路希望調査書を出していた。
名前の欄には黒子テツヤと書いてある。まだ第一希望から第三希望まで空欄だ。
「黒ちゃんは、真たちとは方向の違う高校に行った方がいいかもね。
多分、あいつ等と黒ちゃんは、価値観がずれちゃったんだと思う」
価値観がずれた……。
黒子は口の中で反芻する。
ぽっかり空いた気持ちに、名前が入ってきたようだ。
「退部届けは私から監督に渡しておくね。
彼らとさつきへの言い訳はどうする?」
「もう少し、時間が欲しいです」
そう黒子が言うと、は彼の水色の髪をなでた。
「うん、わかった」
練習中は厳しく、時に鬼婆とまで揶揄されるほどだが、彼女の真心はとても優しかった。
黒子は自分以外でも、こうして部員の悩みを真剣に聞くを何度もみている。
そして、自分を含め、多くの人間が彼女の優しさに甘えている。
僕らの学年でのマネージャーは、桃井さんとさんだけだった。本当に僕らは彼女達に支えてもらっていたんですね。
部活を終えた今、実感の波がやってくる。
「ありがとうございます」
実感を伴なっても、黒子が返せるのは感謝の言葉だけだった。
それから黒子は、あえて強豪と呼ばれていない学校を探した。
そして、その中からやる気のある部員がいる学校を探しているうちに、誠凛高校を見つけた。
ここなら、またバスケを好きになれるかもしれない、となんとなく思った。
黒子は進路希望調査書の第一志望の欄に誠凛高校と記入し、教師に提出した。
「黒子、ケータイ忘れた。貸せ」
火神はそう言って右手の手のひらを黒子に寄せた。
海常との練習試合の後、カントクから逆エビを喰らい、連絡……特に急にいなくなった時、のために携帯電話を持つよう厳命された。
買ったケータイは店で一番見た目も機能もシンプルなもので、アドレスも誠凛男子バスケ部と家族以外は片手で足りるほどの名前しか入っていない。
「人に物を頼む態度として間違っていますが、どうぞ」
「サンキュ……って、お前メールの画像出しっぱ……女?」
火神の語尾に周りの部員が一斉に振り向いた。
「黒子が女の画像持ってるだと!?」
「火神それこっち寄越せっ」
「どうすんだ黒子?」
「別にいいですよ。黄瀬君が勝手に送ってきたものですし」
そう前置きをしてから、黒子のケータイの画面を部員に見せる。
表示されているのはケータイに送れるプリクラ画像だった。
写っているのは黒子に先日の練習試合で敵対した黄瀬、男女が一人ずつだ。
「この眼鏡、緑間真太郎じゃんか」
「んで黒子にひっついてるのは黄瀬で、この女の子は誰?」
「ちょっと緑間に似てるな」
伊月が指摘したように、髪の色合いや目元などのパーツが緑間に近い印象を持たせる。
「黒子よりちょっと大きいな、背。美人じゃん」
「確かに綺麗だけど、俺はもうちょっと可愛い感じのが好みかな」
他の部員もやいのやいのと好き勝手に自分の感性を語った。
「ちょっとどうしたの?」
騒がしい男子更衣室が気になったらしく、途中からリコも入ってきて談笑に参加した。
「で、この子誰なの?」
「その方は元・帝光男バスでマネージャーをしていた緑間さんです。
緑間君の双子の妹ですので、似ていて当たり前ですよ。
ちなみにミスディレクションの名付け親でもあります」
「へえ、あのトンデモ技の名付け親ね」
「緑間真太郎に双子の妹がいたなんて知らなかったなぁ」
小金井は回されてきたケータイを受け取り、リコは小金井の脇から画面を覗き、同じくを見る。
「ということは彼女、マジックに興味があるのかしら?」
ミスディレクションとは元々マジックでの対象物とは違う物に目を向けさせる技法のことだ。
リコがそう推察するのはごく自然なことだった。
「いえ、僕のこの技の本質に気づいてから色々調べてくれた結果です」
「ミスディレクションの本質を見抜くって、何気に凄いな緑間妹」
火神は黒子の付け足した情報で、初めてという女の顔をじっくりみた。
黄瀬や緑間と並んでいると分かりにくいが、黒子もその画像には存在するので、彼女が日本人女性にしてはかなり背が高く、その場にいなくても分かる目の煌きに、あまりマネージャーらしさを感じなかった。
「この女、何cmあるんだ?これだけでかけりゃマネより選手やった方がいいじゃねえか」
「おそらく173cmです。
何故か1年の頃からずっと僕の身長+5cmです。
実際、さんは運動得意ですよ。
流石にキセキの皆には及びませんが、準レギュラーとはそれなりに良い勝負してましたし、女バスの助っ人で大会に出たことも何度かあります。
ですが、彼女の場合はプレーよりも得意なものがありますから……」
「……なあ、黒子いつもより饒舌じゃね?」
一年の一人がそう呟き、そういえばと周りも同調する。
「よく考えりゃ、黒子がゲーセン付き合うってのもちょっと意外な事実だよな」
「しかも下の名前呼び……」
「もしかしてこの人と結構いい感じだったとか?」
「黒子君、好き勝手言われてるわよ」
からかいを含んだ口調でリコが言うと、黒子は眉をハの字にして反論した。
「ゲーセンは付き合いで逃げ切れない時が度々あっただけです。
さんとは確かに異性の友人では一番仲は良かったと思いますが、期待に応えられるような事実は存在しません。
下の名前呼びも皆自然と兄が苗字、妹は名前って慣習化してました」
「で・も、結構好きだったんでしょ?」
耳元に口を寄せて囁かれると、黒子はいつもの無表情でこういった。
「……内緒です」
「ぷくしゅっ」
「あら、ちゃん噂されてるのかしら?」
先輩マネージャーにそう冷やかされる。
は偵察隊から受け取ったDVDを整理していた手を止め、鼻先を押さえた。
「ですかねー。帝光の後輩連中あたりが私の悪口言ってるのかもしれません」
〜♪
ケータイのピアノ曲の着信音が視聴覚室に響いた。
「それお菓子のCMのね」
「そうですよ。ちょっと失礼します」
ケータイを操作し、メールの受信ボックスを開く。
From 黄瀬涼太
Sub 黒子っちから伝言
っち部活終わった?
黒子っちがケータイ買ったからっちのアド
送ってほしいんだって。
もう送っちゃったけど、いいよね?
From 緑間
Sub RE:
黒ちゃんならいいよ。
一応、こっちにも黒ちゃんのアド送ってね。
黄瀬のメールに簡潔な返信をして、ケータイを閉じた。
Aブロックの決勝まであと僅か。
次に会うときは、彼は対戦相手だ。