ヌイグルミ RED 赤という意味のレッドではない。 これは救命のためには職員の利益を最低限まで下げても 理想を追い求める動物病院の名称である。 数年前に高宮院長と永田オーナーの手によって建てられた この病院には世界中の名獣医・職員が集まっている。 その中で一組の夫婦が出来、そして今は……。 「パパ、おちごとちゃいへん?」 女の子特有の長い黒髪を黄色の飾りゴムで2つに結わえる二歳児 が父をじーっと見上げてそう問うた。 この子の名前は水樹。 REDの職員水樹司と紗耶の間に生まれた一人娘である。 「もうちょっと待ってくれ。 そしたらパパとキャッチボールしような」 と同色の黒を短髪にした20半ばの男性はREDの獣医 ―しかも野生動物専門の二科―はひっきりなしくる仕事に終れ、 愛娘のおねだりに耐える苦境に立たされた。 水樹司(旧姓鷲坂)は仕方なく謝りながら仕事をこなしていた。 上目遣いに自分を眺める娘はとても愛らしくて抱きしめたい のだが、仕事を放り出す訳にはいかない。 「パパちゃっきもそういっちゃの」 「こらっ!司のお仕事の邪魔しちゃ駄目でしょ」 ひょいっとの体を持ち上げたのは緋色の髪をアップに 結わえた女性、水樹紗耶。の母親で司の妻である。 AHTの資格持ちでREDの職員をしていて、産休も終わって 職場復帰したのももう数ヶ月前の話だ。 はここから近くの保育所に入所し、家から保育所、保育所 からRED、REDから家への日常が定着してしまってる。 まだまだ我侭盛りのお年頃なので、一人遊びにも飽き、 どうしても30分ごとには母か父か他の顔見知りの職員に 一緒に遊ぶようねだってしまう。 いつもなら永田似園の園児と遊ぶという選択もできるのだが、 残念ながら、園児達の大部分は義務教育の真っ最中だ。 「みんながっこうだからちゅまんないの。 ほんおわっちゃったからしゅることないの」 父に買ってもらった野球グローブと野球ボールを抱えては ぶすっとすねた顔でそう言った。 「パパもとキャッチボールしたいんだけどね」 「司はさっさと資料仕上げる!村中さん家に連れてって あげられたらいいんだけど、今日は無理ねえ」 紗耶はを腕に乗せながらため息を吐いた。 「魁君も由太郎君もキャッチボール上手だって紀洋の奴 自慢してたな。でもも上手だもんな」 「ね〜」 「はぁ、この父娘は…」 「あはは、流石の紗耶さんも鷲坂とちゃん相手だと形無しだね」 「りょーとーてんてーなによんでるの?」 紗耶の腕の中に納まっているは陵刀の開いている 本に興味を示して内容を聞いてきた。 「ん?これは大人の男の人のロマンだよ。ちゃんも見る?」 「みりゅ「「止めて下さい」」 司と紗耶が同時に止めに入った。 陵刀は両親の反応を面白がるためにやったらしく、 にはそれを見せようとはしない。 はかまってもくれないし自分が興味を持ったものも 見せてくれないので拗ねる表情になった。 「ちゅまんないの。おしょといく」 母親の手から抜け出してぴょんと床に着地しては 開いていたドアからてこてこ歩いて出て行ってしまう。 この病院内の職員は全員を知っているし、 迷うことも危険なものも教えてあるので 自由に歩かせている。 「女の子でお人形よりもグローブ持ってるのは なんか鷲坂の子って感じがするね〜」 大人の男のロマンなる雑誌で口元を隠しながら陵刀は くすくす笑った。 それを聞いて司は気分を害した風もなく書類に ボールペンを走らせる。 「俺は自分の子供と野球するのが夢でしたから嬉しいですけどね」 司は甲子園の優勝旗を手にしたこともあるほどの腕前で 球団からの誘いもあったらしい。 しかし、どうしても獣医になる夢を捨てきれずに卒業式が 終わってすぐ成田からアメリカに行って大学に入学した強者だ。 しかも8年かかる所を4年で卒業してREDに入ったのだから これまた他人にはマネできない行為である。 「高校の時からそう言ってたものね。 有言実行を地でいくから恐ろしい」 本当に4年で帰ってくるし、うちの家から結婚の承諾もらうし。 私が無理だと思うことを実行する自分の選んだ男が優れている のは誰も疑わないだろう。 紗耶はまとめ終わった患畜のカルテをケースごとにしまい ながら改めてそう思ってしまう。 「ずーと思ってるけど、摩訶不思議よね司って」 「……俺、紗耶だけにはそれ言われたくない」 「同感だね」 陵刀と司が同時に頷いた。 「私は普通よ」 「普通の女性は猛獣を素手で捕まえる事はできないね」 まず紗耶の特徴として一番に挙げられるのは男も軽く越す 身体能力の高さ。 そして心臓に毛が生えているのではと勘ぐるほどの度胸だ。 逃げ出した豹を素手で捕まえたのは今でもRED内部では 語り草である。 「だから君ら夫婦は密林とか危険地帯の派遣が多いんだよ。 アレルギー関連一切なし。知識・技術も十分。体力満点。 その上心臓に毛の生えたと信じてもいい度胸まであれば 言うことなしの人材だからね。 それでそんな君らの娘であるちゃんも今のところ体 は非常に健康、怖いもの知らずな行動力、2歳で絵本が 読めれば頭も悪くない。 本当に君らそっくりに育ってるよねー。将来有望だよ」 カラカラ笑う陵刀に司と紗耶は同じように脱力する。 「先輩、俺はそっくりそのままさっきの言葉お返しします」 人間の医師の資格まで持っている陵刀は間違いなく30は いっているはずなのに、外見は司とさほど変わらないし、 父親が世界中に名をとどろかす名獣医でその才能は息子 にも十二分に引き継がれている。 極論、このワイルドライフには普通と呼べる人間は いないのではないのだろうか。 「え?ちゃん僕の子供にしていいの?」 何を勘違いしたのか嬉しそうに陵刀はそう言った。 「「駄目です!!!」」 即座に却下されて残念そうに肩をすぼませてまた雑誌 に目を戻す。 司と紗耶の夫婦は同時にため息を吐いて仕事に戻った。